コギオヤ diary

折り返しの人生模索中

コロナウイルスは生物兵器?

ロシアの人の64%が

新型コロナウイルス

人工的に作られた(生物兵器)と

思っているそうです。

 

日本では

『感染力が強い割に

 致死率が低く、使い物にならないから

 生物兵器ではない。』

『DNAの配列が人工的に作られたものでは

 ありえない』

と、言う意見のほうが多そうです。

 

というより、やっぱり日本人は、

心から人間の性善説

信じているのだと思います。


 

私も

生物兵器なんて、

 人間として、使っちゃいかんでしょ。』

と、思いますが、

第二次世界大戦のとき、

東京大空襲で十万人もの人が

広島と長崎では、原爆で五十万人の人が

老人、女、子供の区別なく殺されました。

沖縄では、

シューティングゲーム感覚で、

狙撃されたそうです。

 

それも、

『人としてどうなの?』

と言う出来事です。

 

 

戦争をしたい人にとって、

戦争で儲けたい人にとって、

倫理など、これっぽっちも

感じないものではないでしょうか?

 

たとえ今回は違ったとしても

将来的にはあり得る、

今現在進行形であり得る話だと

思います。

思うだけで、

防護策は何もないのが情けないです。

 

 

 

母が安寧でいると思うわけ

私が母の死をあまり悲しまない訳は

母が安寧でいると信じているからです。

 

私が二十歳の頃、

母はガンの手術をしました。

七時間を超える手術は成功したのに、

四日後、母は危篤状態になりました。

 

意識を無くした母を

先生や看護婦さんたちが取り囲み、

何本も注射を打ったり

「脈が取れません!」

と、大騒ぎしている中、

私は天井を見ていました。

 

 

子供の頃から、

世界の七不思議

『本当にあった不思議な話』

といった本が大好きだった私は

臨死体験の話もたくさん読んでいました。

その中には病室の鴨居付近から

自分を見下ろしていた。

と言う証言がたくさんあったからです。

その時、自分の肉体に戻る(吸い込まれる)と

生き返ったと言うので

私はそこに居るであろう母に

(体に戻って!)

と、祈り続けたのです。

 

 

後日母に尋ねると、

「死ぬのは寝ているのと同じ。

 なんにもわからないよ。

 痛いこともなんにも無い。」

 

「地獄は心の中にある。

 悪かったなと思う気持ちが

 悪夢となってそれが

 地獄なんじゃないのかな?」

と、言いました。

 

母はとても良い人でしたから、

きっと良い夢を見ていると思うのです。

なので私は悲しくないのです。

 

今、書きながら

少し泣いちゃったけどね。

 



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母と作った押し絵の桜

 

あなたは悪くないよ

岐阜県下呂市の市長さんが

一般の人に先駆けて、

コロナウイルスのワクチン接種をしたと

大層な問題になっている。

 

けれども、

(キャンセルで?)余った一本を

無駄にしない為に

そして、

自分が罹ることによって、

行政の空白を作らない為に

打ったのだという事でした。

 

何が悪いの?

税金で買った

高い(しらんけど)ワクチンを

廃棄してしまうより

よっぽどいいよね。

 

 

一方では予約したいのに出来ないと、

大騒ぎしていると伝え、

一方では、ワクチン接種を

ためらう人は多いとの報道もあります。

どっちやねん?

 

そしてその報道に

何か嫌な気持ちになるのは、

正反対の見方があって、

『人それぞれ いろいろやな。』

と思うのではなく、

 

『受付が混乱している!』

(政府が悪い。)

『やりたない。って言ってる人がいる!』

(首相が悪い。)

 

と、言っているように感じるから。

うがち過ぎですかね?

 


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八重のペチュニア 色が好きです。

よろしくね

イヤな予感はしていました。

ポーちゃんの死から
ようやく立ち直りかけ、
ブログでご報告した途端、



まぉさんが死にました。

まぉさんの死を悼みながら
実母の介護、看護を手伝っていました。
まぉさんを心配してくださっている皆様に
ご報告をと思いながら、
ブログを再開した途端に又、
ということになったらどうしよう。
と、迷っていたのですが、
いつまでも先延ばし出来ず、
また、まさかそんなことには
ならないだろうと思い
先日ブログを再開しました。

そしたらなんと
母も亡くなってしまいました。
あまりの出来事に
ただただ絶句しています。

昨日葬儀も滞りなく終わり、
あまりのあっけなさに
悲しみさえありません。

実際、
ポーちゃんとまぉさんの時は
ブログを書こうという
気も起きませんでした。
書こうとしてからも、
書き出すと涙がでて、
何度も中断して
何日もかけて
1日分のブログを書きました。

それなのに昨日お葬式を
終えたばかりなのに
こんなに平気なのは
何かがおかしい。
私の心は
壊れてしまったのかもしれません。


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「おばあちゃんのことは任せなさい。」
まぉさん、おばあちゃんをよろしくね。

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「ポーちゃんもいますよ。」
頼みますね。

まぉさんの旅立ち

3月24日まぉさんは

天国へと旅立ちました。

 

その日私達は1日のんびりと過ごしました。

夕方、やり残した仕事を片付けに

職場へ行き、

買い物、夕ご飯、夜の諸々を済ませ

部屋に戻ると、

まぉさんは部屋の真ん中に

パタリと倒れていました。

一瞬だけほんのりと

ぬくもりを感じた気がしましたが、

まぉさんのからだは

すでに冷たくなっていました。

 

最期の瞬間に

そばにいてあげられなかったのです。

 

仕事はその日でなくても

良かったのに。

買い物なんてしなくても。

ご飯なんて作らなくても

食べなくても良かったのに。

のんびりと

お風呂に入っていた自分を許せません。

 

固くこわばったまぉさんを抱いて

泣いても 泣いても 泣いても

嗚咽がこみ上げてくるのでした。

 

そんな自分と向き合うことが出来なくて、

心配してくださった皆様に

ご報告をしなければと、思いつつも

ご報告が今日まで遅れてしまいました。

 

あの日から

1ヶ月以上がたちますが、

忙しさに紛れて

忘れていることもあります。

夜、隣にいない事に

寂しさを覚えたり、

時々急に思い出して

涙が出てしまう事もあります。

 

それでも人は生きていくんだなぁ。

地球は回っているんだなぁ。(当たり前)

と、悲しく思います。

 


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『元気だった頃のまぉさん』

 

 

死んじゃう死んじゃうサギ

我が家の愛犬ウェルシュコーギー

ポーちゃんのガンが見つかった時、

我が家のわがままプリンセス

サビ猫のまぉさんもまた

ガンであることがわかりました。

 

まぉさんのガンは

扁平上皮癌で、下顎にできていて、

「下顎を切り取るしかありません。」

と、言われ手術は諦めて

自宅療養しています。

顎が腫れ、患部はパックリと裂け

見るからに痛そうで、

可愛そうです。

 

ところがまぉさんは

私のそんな気持ちを逆手に取り

「もうすぐ死んじゃうから

 抱っこしてー。」

「もうすぐ死んじゃうから

 美味しいウェットフードしか食べない。」

と、わがままを連発しています。

 

夜も、私の左脇で、腕枕で寝、

動くことは絶対に許されません。

おかげで私は、

目が覚めたときには

体がバリバリにこわばっています。

 

こんな状態が、

もう3ヶ月も続いています。

まぉさん、本当は死なないんでしょ?

 


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「もうすぐ死んじゃうから

 絶対動いちゃダメー。」

 

 

地獄をみたのは?

ポーちゃんが天国へと旅立ったあと、

現実逃避で

痴呆の世界に閉じ籠った私は

悲しみだけではなくすべての感情を

シャットアウトしていました。

 

そんな私の代わりに

地獄を味わったのは

息子ののりちゃんでした。

 

 

普段から家族と少し距離をおいている

夫のオットー氏は

ただぼんやりと座っている

私をどうする事も出来ず、

お家デート

 

真っ最中の

のりちゃんに助けを求めました。

まさしく天国から地獄へと

突き落とされたかわいそうなのりちゃん。

 

 

のりちゃん、ごめんなさい。

お母さんとお父さんは

馬に蹴られます。

 

 

30日の夕方なので、

病院はやっていません。

のりちゃんは

「今日は何月何日?」

と、繰り返す私をなだめながら、

救急病院や保険センターに

電話で相談し、

「緊急性がないので、

  年が明けてから受診するように。」

と、言われたそうです。

 

そうこうするうちに

次男坊のなっきが帰宅し

のりちゃんはやっと

『ひとりぼっち地獄』から

解放されたのでした。

 

 

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 在りし日のポーちゃん

 

30日におこったこと

晦日の朝、私は自分の部屋で、

次男のなっきからの

着信音で目覚めました。

(こんなに朝早く、

  何かあったのかな?

  あれ、私、リビングで

  ポーちゃんと寝てたはずだけど?)

 

「はい。なっちゃん?どうしたの?」

答えるまもなく、

長男ののりちゃんが、

部屋に駆け込んできました。

私からスマホを取り上げ、

「もしもし、うん、うん、うん………

  おかん、今日何日かわかる?」

「大晦日やろ?」

「あっ、わかるんや。  わかっとるわ。」

私の日にち把握能力が低いことを

バカにしとるやろ。

「じゃー、昨日、何があったか覚えとる?」

私の胸に冷たい不安がよぎりました。

 

「ポーちゃんが死んじゃったの?」

「あっ、覚えとるんや。

  わかるんやね、覚えとるんやね。

  大丈夫みたいやわ。」

 

のりちゃんはなっきと

しばらく話していましたが、

やがて電話を切ると、

 

「おかん、落ち着いて聞いてね。

  昨日、ポーちゃんが死んだあと、

  おかんは精神的に不安定になって、

  なんにもわからなくなっちゃったの。

  何度も何度も『今日は何日?』

  『ポーちゃんは死んじゃったの?』

  ばっかり言って

  悲しがりもしなかったんだよ。

  覚えとる?」

 

何も覚えていません。

29日のことはおぼろげにわかりますが、

そこから31日に目が覚めるまでの記憶が、

すっぽりと抜けているのでした。

 


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ありし日のポーちゃん

 

 

 

私とポーちゃん

このブログには、

楽しい事だけ書くつもりでした。

人は誰でも他人にはわからない悩みや苦しみを抱えて生きています。

でもみんな自分で折り合いを付けて

生きています。

私も毎日の生活の中で、

楽しい一面をピックアップして

綴っていきたいと思っていたのです。

 

けれども、去年の暮12月30日

ポーちゃんが天国へと旅立ちました。

私にとって

ポーちゃんの死は

そんなきれい事のポリシーなど

吹き飛んでしまうほどの

出来事でした。

 

まず、その時私は

錯乱してしまって、

一時的に痴呆の様な症状が出て、

今日が何月何日かもわからず、

ポーちゃんの死も理解できず、

ただぼんやりと座っていたそうです。

 

 


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在りし日のポーちゃん

 

 

ゆっくりとお散歩をしようね

ポーちゃんのお散歩を
1日1回にすることにしました。


今までは1日2回行っていたのですが、
年を取って少々
足元が覚束無くなってきたことと
歩みがゆっくりになったために、
散歩に時間がかかるため、
朝夕2回にこだわらず、
時間のあるときに
ゆっくりと楽しみたいと思ったのです。


先日、ポーちゃんは
目が充血して受診。
リンパ腫が見つかりました。


年齢とかを鑑みて、
副作用の少い薬を
処方していただきました。
副作用の少い薬は
効果も少いとはわかっていますが、
悩んで悩んでそう決めました。


お別れが近付いて来ていると思うと、
いっそうかわいく思えます。



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