コギオヤ diary

折り返しの人生模索中

母が安寧でいると思うわけ

私が母の死をあまり悲しまない訳は

母が安寧でいると信じているからです。

 

私が二十歳の頃、

母はガンの手術をしました。

七時間を超える手術は成功したのに、

四日後、母は危篤状態になりました。

 

意識を無くした母を

先生や看護婦さんたちが取り囲み、

何本も注射を打ったり

「脈が取れません!」

と、大騒ぎしている中、

私は天井を見ていました。

 

 

子供の頃から、

世界の七不思議

『本当にあった不思議な話』

といった本が大好きだった私は

臨死体験の話もたくさん読んでいました。

その中には病室の鴨居付近から

自分を見下ろしていた。

と言う証言がたくさんあったからです。

その時、自分の肉体に戻る(吸い込まれる)と

生き返ったと言うので

私はそこに居るであろう母に

(体に戻って!)

と、祈り続けたのです。

 

 

後日母に尋ねると、

「死ぬのは寝ているのと同じ。

 なんにもわからないよ。

 痛いこともなんにも無い。」

 

「地獄は心の中にある。

 悪かったなと思う気持ちが

 悪夢となってそれが

 地獄なんじゃないのかな?」

と、言いました。

 

母はとても良い人でしたから、

きっと良い夢を見ていると思うのです。

なので私は悲しくないのです。

 

今、書きながら

少し泣いちゃったけどね。

 



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母と作った押し絵の桜