コギオヤ diary

折り返しの人生模索中

母のお陰で

神頼みをしない主義の私が

すがり付いたのは、

一昨年に亡くなった母でした。

 

母は

最後の一年

一つずつ執着を捨てていき、

亡くなる前には

既に仏さんになっていたように思います。

 

けれど

執着の中には私も含まれています。

私は捨てられたような気がして、

母の解脱を喜びながらも

捨てられた悲しみを

感じていました。

 

 

私はちいさい頃

忙しい母の

足手まといにならぬように

母に面倒をかけないようにと

いつも母の顔色を見て行動する子供でした。

母を愛するが故に

母に甘えられない

複雑な気持ちをかかえていました。

 

大人になってからも

やはり母が規範でした。

今回は眠られぬ布団のなかで、

母の事を考えました。

母が知ったらなんと思うだろう?

母ならどうしただろう?

どうしてこんなことに

なってしまったんだろう。

 

いつの間にか

とろとろと眠って

明け方に目が覚めた私は

しまいこんでいた母の写真を飾り、

母の好きだった緑茶を供えました。

炊きたてのご飯と味噌汁を

お供えしました。

 

しばらくして、

私はそれらお下がりさんを食べました。

昨日まで、食べ物がのどを通らなかったのに

母のお陰で食べることが出来ました。

母が力を貸してくれたの

だと思いました。