コギオヤ diary

折り返しの人生模索中

明台寺

私のお遍路西美濃編 13

私は先日『明台寺』へ行きました。

 

昔、今の長良川

古い木の橋が掛かっていて、

いつしかその橋桁にお地蔵さまの影が

見えるようになったので、

その橋桁を切り出し、

お祀りしたのが始まりです。

 

思っていたよりもかなり遠くて

気持ちが折れそうになりながら

やっとたどりつきました。

 

期待は高まります。

山門は立派でした。


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《ここからはあくまでも、

   私個人の感想です。

   けして誰かを責めたり

   貶めたりするつもりはありません。》

 

本殿も立派です。


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故事に ちなんだ橋もありました。


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けれどこの寂寥感はどうでしょう。

 

扉には鍵が懸かり、

ご本尊様にも、

観音様にもお目にかかることは

出来ませんでした。

階には砂ぼこりと落ち葉が積もり、

どうみても

何日も留守をしているようです。

そこはまるで、

『日本昔話』で、

旅のお坊様が一夜の宿を借りる

廃寺のようでした。

 

社務所も閉まっていて、

人気もありません。

ふと見ると、社務所の前に

折り畳みテーブルが置かれ、

紙や缶等が乱雑に乗っています。

そこが御朱印を頂く所でした。

もちろん自分で押すのです。

 

私はしばらく考えました。

こんな御朱印にご利益はあるのでしょうか?

それよりこの乱雑なテーブルに

触れたくありません。

でも、33ヵ所回った証の御朱印

『行ったけど貰いたくなかったので……』

で、済ましたくありません。

貰いたくない。

でも、貰いたい。

なぜなら二度と来たくないから。

私はなるべく触れるのを

最小限にしながら

御朱印を押しました。

こんな気持ちになる自分が

一番仏心から遠いと感じながら。

 

私はこんな悪口を

書いて良いものかずっと迷っていて、

こんなに日がたってしまいました。

でも、今、書いていて気がつきました。

私が悪かったと。

お寺が汚れていると気が付いた

私が掃除すべきだったと。

 

美しい行基寺を見た後で、

今度のお寺はどんな感動をくれるかと、

楽しみにしていました。

けれども、そもそもお寺は

奉仕すべき場所です。

なのに、私は何かを貰うことしか

考えていませんでした。

 

私は仏様から

チャンスを貰っていたのに

不満だけを持ち帰ったのでした。

 

ここのお寺も

必ずもう一度訪れたい場所です。

その時は雑巾を持って。