コギオヤ diary

折り返しの人生模索中

忘れたほうが幸せ?

痴呆は、死を目前とした老人にとって
ある意味福音となる場合もあると
私は思っています。
(若年性アルツハイマー病などは除きます)


同居していた私の父方の祖父は、
私にとっては、普通のおじいちゃんでした。
晩年は、少しボケて、好々爺然としていました。
最後まで、寝込むこともなく、
それが、反対に介護を大変にしていましたが、
本人はどこ吹く風でした。


母方の祖父は、いわゆる
『最後まで頭はしっかりしていた』
と言われる人でした。
寝たきりになっても、オムツになっても
厳格であり続ける事は、
介護をする母や叔母達にとっても、
本人にとっても、辛いものでした。


ここで私が思い出すのは、
吉永小百合さん主演の
『外科室』という映画です。
坪内逍遥の同名小説の実写版ですが、
私は小説は読んでいませんし、
映画もCMを見ただけです。

が、吉永さん演じる伯爵夫人は
九年前に一度だけ会った男性に一目惚れします。
ずっと心の中に秘めていますが、
病を得、開胸手術をする事になり、
手術担当医師が、
その男性になったのです。
麻酔をすると、
秘めたる思いを口にする可能性がある為、
麻酔を拒否して手術に臨むというお話です。


祖父は、戦争の記憶を
誰にも知られたくない気持ちが
強すぎて痴呆になることが、
出来なかったのではないかと思います。
ボケてしまえば、本人は楽だったでしょう。
辛い記憶も 死への恐怖も
忘れることが出来るのですから。
けれども祖父は、最後まで、
自分のした事と向き合って生きました。


それが、自分で選択した生き方だったのか、
大いなる力によって忘れることを許されなかったのか
それは、私にはわかりませんが、
忘れてしまったほうが、
祖父は幸せだったのではないかと私は思うのです。

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「人間はいろいろと大変ね。」