全昌寺の隣に
手前が松尾芭蕉。奧にいるのが弟子のそらです。
大垣の人々は芭蕉を良く後援し
芭蕉も 大垣が好きだったらしく、
奥の細道の旅を大垣で終えました。
体調が悪くて倒れこむように
到着したようです。
弟子や、崇拝者が、まずは休ませてあげたいと、
遠慮しているなか、
ある人が、マッサージをして差し上げました。
気持ち良かったのでしょうね。
衾(今でいう寝袋でしょうね)を
お礼にあげました。
ところが少しして、
せっかくだからと句会を開いたら、
「私があの衾を
ちょうだいしたかった。」
「1番そばで尽くした私こそ
あの衾が貰えるはずだったのに。」
「あいつ、もしぞんざいに扱って、
破りでもしたら俺が許さん。」
と、そんな句ばっかりで、
「そんな気持ちでは良い句は作れませんよ。」
と、芭蕉は苦笑(あっ、員を踏んだよ)したそうです。
事実か創作かはわかりませんが、
素直と言うか、
子供っぽいと言うか。
笑ってしまいますね。
あいつ許さ~んという俳句に
どうやって季語を入れたのか
ちょっと興味があります。
向かいには住吉灯台。
この川は三重県の、桑名とつながっていて
昭和初期まで水運も盛んでした。
灯台というと、白くて
レンズがくるくる廻っているのを
想像しますが、
川の灯台は、このスタイルの様です。